紅麴をめぐる健康被害で話題沸騰中の小林製薬の小林章浩社長。
小林章浩社長は6代目社長で小林製薬は一族経営で経営してきました。
今回は小林章浩社長の家系図と本当にボンボンで世間知らずなのか調べました。
小林製薬小林章浩社長の家系図!
まずはこれまでの小林製薬の歴代社長と家系図を図にしてまとめました。
小林製薬歴代社長と家系図まとめ
小林製薬は創業者の小林忠兵衛によって1886年(明治19年)に小林盛大党という名前で創業されました。
当初は薬品の販売でなく、雑貨や化粧品、洋酒を行っており、2年後に薬品卸部門を立ち上げました。
1886年から2024年までで6代目まで一族経営で引き継がれていきました。
初代社長小林吉太郎
初代社長は小林吉太郎で1919年に社長に就任し、株式会社小林大薬房を設立しました。
吉太郎は創業者である忠兵衛の長男で1948年まで社長を務め、その後は会長に就いています。
2代目小林三郎
吉太郎の後を継ぎ、2代目社長になったのが小林三郎です。
小林三郎は吉太郎の婿養子でのちに三代目社長の小林映子と結婚します。
1956年に社名を小林製薬株式会社に変更しました。
3代目小林映子
4代目社長となったのが小林三郎の妻である小林映子です。
映子は初代社長吉太郎のめかけの子であり、三郎の妻でもあります。
めかけとは妻以外の妻のような存在であり、経済的支援を伴う人物のことを指します。
家系図をさかのぼると小林吉太郎のところにめかけと足立たまと二人の妻がいるのはそのせいですね。
現代では考えにくいですが、当時だとそこまで珍しくなかったのかもしれませんね。
4代目小林一雅
4代目社長に就いたのが小林一雅です。
小林三郎の長男であり、医薬品の卸業であった小林製薬をメーカーへ転換を進めた人物です。
「シュミテクト」や「ポリデント」など数々の人気商品を生み出し、業績が高く評価され2022年には書籍を出版されています。
優しそうな表情とは裏腹に息子で現社長の章浩さんには厳い教育をしていたそうで、
「会社に入ってからリーダーとしてどうあるべきか叩き込まれた」
とコメントしています。
ちなみに学生時代はフィギュアスケートの国体選手だったそうです。
現在は小林製薬の会長となっています。
5代目小林豊
5代目社長となったのは4代目社長一雅の弟の小林豊です。
1968年、23歳の時に小林製薬に入社し、2004年から2013年まで社長を務め、副会長になりますが2019年に他界してしまいます。
6代目小林章浩
そして6代目であり、現社長が小林章浩です。
1998年に小林製薬に入社し、41歳という若さで社長に就任しています。
2018年には中国に進出するなど小林製薬の海外進出させています。
一族経営6代目社長で筋金入りのボンボンで世間知らずか!
これまで一族経営を貫いてきたため、現社長の小林章浩はネット上ではボンボンで世間知らずと言われています。
小林章浩はどうしてボンボンで世間知らずと言われるのかまた本当にボンボンで世間知らずなのか調べました。
自宅は芦屋の一等地でボンボン
小林章浩さんの自宅は芦屋の一等地に構えており、高額納税者番付では上位の常連であるほどです。
現在は芦屋の自宅には会長である一雅さんが住んでいるそうで白壁の洋館で「日本のビバリーヒルズ」と呼ばれる超高級住宅街になっています。
章浩さんの自宅は神戸市内の高級マンションで名だたる社長たちが住んでいるそうです。
実は社員思いの社長
世間からはボンボンで世間知らずと言われている章浩さんですが実は社員思いの優しい社長とも言われています。
普段はマーケティング部のオフィスに社員と共にデスクを並べており、社長室はほとんど使っていないみたいです。
社内の風通しもよく、全社員からアイデアを募ると年に2万件以上もの提案が集まり、その中でも優れたアイデアには直接激励メールが届くそうです。
そのかいあってかブルーレットや消臭元は年間売上高でギネス世界記録に認定されています。
まさにブランドスローガンの「あったらいいな」を形にしていますね。
ただ親のコネで社長になったのではなく、まずライバル会社である花王に入社してから小林製薬に入社しているのでその経験が生きているのかもしれないですね。
まとめ
小林製薬の一族経営の家系図と歴代社長のまとめと現社長の小林章浩がボンボンで世間知らずと言われている訳をまとめました。
小林製薬は1886年の創業から2024年に至るまで6代に続き一族経営を行って、会社を大きくしてきました。
それゆえに現社長の小林章浩は親の七光りで社長になったボンボンで世間知らずと言われてしまってますが、本当は社員と共に働き自ら社員の声を聴く、素晴らしい社長であるのかもしれません。